妊孕性温存できなかった方へ



がん治療前に、妊孕性温存療法をお受けにならなかった方へ

がん治療前

 この数十年でがん治療の進歩により、がん治療後の生存率は向上しています。そのため、がん治療を終えた患者さん、つまりがんサバイバーの人数も増えており、治療後のライフプランをどのように送るかが考えられるようになりました。しかし、ある種類のがん治療は、その副作用が治療期間を終了しても残る場合があります。

 晩期障害と呼ばれるこの副作用は、がん治療が終了してから数ヶ月または数年後に発生することがあり、この長期および晩期障害には、身体的、精神的な障害が含まれます。晩期障害の一つに生殖腺(精巣、卵巣)におよぼす影響があります。

 がんの治療と妊孕性の温存については、近年検討が進められてきています。まだ新しい分野であり、がん治療という重大な治療の前に、妊孕性温存治療を知らなかった、もしくは受ける機会がなかった方が大多数であるのが現実です。ある種のがん治療は、妊娠する機能や身体の機能を維持するのに重要なホルモン分泌器官、例えば精巣や卵巣にダメージを与えることがあります。その影響は症状としてはわかりづらいことがあります。また、性線機能自体が年代によって変化していきます。そのため、お受けになった治療の内容とそのリスクとその後の影響については主治医に御相談ください。そして、妊娠する機能やホルモンに関してリスクがある治療を受けた方は、泌尿器科や産婦人科医に評価してもらってください。

 あなたが受けた治療の内容と現在の状況、そして今後のフォローの仕方を知ることは、健康で長い人生を送る上で重要です。

 以下、男性と女性の性腺への影響とその問題点や必要な治療法についてお示しします。


男性

 男性の生殖機能は年齢、受けたがんの治療の種類や部位など、様々な因子により影響されます。治療の影響がどの様にご自身の生殖機能に影響するかを理解することが大切です。

1)男性の生殖機能

 男性の生殖機能(精子をつくる力や勃起などの性機能)は、脳の中のホルモン中枢である視床下部や下垂体から分泌される性腺刺激ホルモンでコントロールされています。思春期以降、陰嚢内の精巣にある、男性ホルモンを作るライディヒ細胞と精子の元となる胚細胞に作用して、精子の生成に働きます。またこれらのホルモンは精子の生成だけではなく、思春期の心身両面の成長や声変わりなど様々な働きをし、男性らしくなり生殖機能を獲得します。

2)がん治療の影響

 脳や精巣への放射線治療や抗がん剤などのがん治療は、脳からの性腺刺激ホルモン分泌を抑制、また直接精巣での精子の造成機能に影響を及ぼし、性機能や精子のクオリティー(精子数や運動率)を低下させます。つまり、不妊の原因になります。また、思春期前の10代の男の子では、重要な男性ホルモンの一つであるテストステロンが分泌低下するため、思春期発育に影響することもあります。しかしこれらは、ホルモン補充などのサポートの治療で補うことができます。成人でも筋肉や骨の状態を保つため、また勃起などの性機能を維持するためにも適正な男性ホルモン量を保つことが重要です。

3)どの様に観察すべきか

問診:抗がん剤や放射線などの性腺機能に影響のある治療を受けた人は、主治医とその影響についてよく相談し、フォローアップとして定期的な検査を受けましょう。思春期の前に治療を受けた場合は、身長や性器の発達、声変わりなどの観察も重要です。

血液検査:必要な男性ホルモンが産生されているか、血液検査で簡単に調べることができます。

精液検査:精巣の機能は、精液検査で、精子の数や運動率を調べることができます。正常の所見であれば、自然妊娠が可能です。精子を作る力は、がんの治療後、数か月もしくは数年かかって回復することもあります。もし、精子の数や運動率が悪ければ、少し間を開けて再検査してください。

4)どんな治療があるのか

 男性ホルモンが産生不足の方は、ホルモン補充治療を受ける必要があります。内服や注射など色々な薬があるので、専門医に相談してください。ホルモン補充により、性機能の改善や精子をつくる能力の回復が期待できます。また、精子の数や運動率が低い場合は、人工受精や顕微授精などの生殖補助医療での妊娠を目指すことが有効です。どの様な選択肢があるか生殖医に相談しましょう。両側の精巣の摘出をした男性は精子を作ることができません。またある種の化学療法や放射線治療や年齢により、造精能が回復しないことがあります。妊娠に関係しなくても、ホルモンの影響は健康な身体の維持に必要です。もし問題があれば、主治医や泌尿器科、生殖内分泌科医に相談しましょう。

女性

がん治療前

 がん治療による女性の生殖機能(妊娠する力)への影響は年齢、がんの治療の種類、さらにはその部位などにより、様々な要因により左右されます。その影響は、月経周期が変動する(例えば月経が停止してしまう、あるいはたまにしかない)など、自覚しやすい事もあります。逆に、影響が軽度の場合は軽いホルモン不足の症状など自覚しにくい事もあります。一番わかりやすい目安は月経が順調にきているか、あるいは不順もしくは月経がない(無月経)という月経周期の変調です。お受けになった治療の影響が、どの程度にご自身の生殖機能に影響するかを理解することが大切です。

1)女性の生殖機能

 女性の生殖機能(排卵が定期的に起こり、妊娠が可能な機能)は、脳の視床下部や下垂体と言われるホルモン中枢から分泌されるホルモンでコントロールされています。卵巣からの卵子が排卵され、卵巣からのホルモンが分泌されます。この卵巣ホルモンは、子宮の内膜に作用し、受精した卵(胚)を受け入れやすくします(着床)。これが妊娠のはじまりです。逆に着床しないと、内膜ははがれて出血し、月経になります。

 思春期以降、卵巣の中の卵子を含んだ卵胞が発育すると、女性ホルモンを分泌します。これが毎月、周期的に起こると排卵し、妊娠する可能性とともに子宮内膜に作用して、月経を起こします。またこれらのホルモンは妊娠の可能性だけではなく、心身の成長や骨の代謝、皮膚や気持ちの変化など、身体の中の様々な所に作用します。

2)がん治療の影響

 ある種類のがん治療は、妊娠する機能やホルモン分泌に影響を与えます。そのダメージは症状がわかりづらい事があります。特に性的機能や、月経などの性腺機能、妊娠するための機能は評価や相談する機会が少なく、その必要なタイミングも異なります。

 卵巣や子宮などの性腺は、単に妊娠するためだけにあるわけではありません。身体の成長や思春期の発来、骨や血管など健康な身体の維持にも影響を及ぼします。治療前に妊孕性温存療法をお受けにならなかった方で、卵巣機能が低下してしまった方は、健康な身体を保ち、長期のライフプランの為にも、長期的な視点のフォローアップが大切です。

 卵巣の中では、年齢とともに卵子が減少し、卵巣ホルモン分泌が徐々に少なくなり、最終的には閉経になります。 通常、女性の閉経は、40代後半または50代前半で月経が自然に終わります。月経周期が乱れ、完全に閉経になるまでの期間は、数か月から数年です。 しかし、がん治療によって卵巣機能が低下し、治療の直後または、数年後に、一般の年齢より早く閉経となる場合があります。

 また妊娠するための機能自体も、がん治療を受けた年代によって様々です。しかし、その影響は不可逆的、つまり時間がたてば改善することはありません。まずは主治医にそのリスクと影響について相談してください。そして、リスクがある人は泌尿器科や産婦人科医で評価してください。

 あなたの受けた治療と現在の状況、今後のフォローの仕方を知ることは、健康な長い人生を送る上で重要です。

3)どの様に観察すべきか

 がんの治療は、生殖機能に関わる様々な器官、例えば脳内のホルモン中枢、卵巣、子宮などに、影響を及ぼす可能性があります。しかし、その治療の内容や期間、治療を受けた年齢により、脳や卵巣、子宮など妊娠やホルモン分泌に対する影響の大きさが異なります。ご自身の治療内容を主治医から聞いて、その治療が長い経過の中で、どの様な影響があるのか確認してください。

症状:月経サイクル、つまり月経が順調にあるか、不順になったかという月経周期や、いままでになかった日常の症状の出現は重要ポイントになります。

 また、卵巣機能が低下してくると、年齢に関わらず閉経の症状と徴候が出てくることがあります。以下にあげる症状があると思われる場合は、主治医もしくは産婦人科医に相談してください。 症状を緩和する治療法があります。

  • ほてり、ホットフラッシュ:突然暑くなり、汗をかいたりします。 特に顔、上半身に暑さを感じ、これらは通常、数分で消えます。寝汗がひどくなることもあります。
  • 膣の乾燥、かゆみやおりもの
  • 性交痛、またはその他の変化
  • 骨密度の低下、骨粗鬆症と呼ばれる状態
  • 頻尿、排尿をがまんすることが難しい、または漏れるなどの排尿コントロールの問題
  • 尿路感染症
  • 抑うつ気分、不安、イライラする、気分の落ち込み
  • 睡眠障害

 がん治療により卵巣機能がダメージをうけた結果、ホルモンレベルが低下すると上に上げた様な諸症状が出現します。性腺機能に影響のある治療を受けた人は、主治医とその影響についてよく相談し、フォローアップとして定期的な検査を受けましょう。また思春期前の小児期に治療をお受けになった場合は、身長や発達などのその他の身体の発達の観察も重要です。

血液検査:卵巣からの女性ホルモンが充分分泌されているか、低下しているかは採血をして簡単に調べることができます。脳から卵巣へ向けてのホルモン(性腺刺激ホルモン)と、卵巣から分泌されるホルモンを測ることで、その機能を知ることができます。

4)どんな治療があるのか
ホルモン補充療法(HRT)

前述したホットフラッシュや発汗などの症状は、卵巣から分泌されるエストロゲンという女性ホルモン不足により起こります。ホルモン補充をすることでこれらの症状は改善することができます。

主に卵巣ホルモンであるエストロゲンを補充します。その方法は内服薬、皮膚に貼付するパッチ剤、ジェルで、または膣内薬と様々です。いずれの薬の使用法でも、卵巣が分泌するエストロゲンと同じように機能します。これらの治療方法はホルモン補充療法、またはHRTと呼びます。子宮がある場合は、定期的に月経を起こして内膜を肥厚させたままにしないために、定期的に月経をおこさせる必要があります。そのため、エストロゲンとともにプロゲステロンと呼ばれる黄体ホルモンを定期的に内服する必要があります。ホルモン補充療法は症状を改善するだけでなく、骨粗鬆症の予防にも有効です。

しかし、一部の方には、このホルモン補充療法が勧められない場合があります。重度の活動性肝疾患、現在の乳癌とその既往、現在の子宮内膜癌、低悪性度子宮内膜間質肉腫、原因不明の不正性器出血、妊娠が疑われる場合、急性血栓性静脈炎または静脈血栓塞栓症とその既往、心筋梗塞および冠動脈に動脈硬化性病変の既往、脳卒中の既往 などです。

ホルモン療法のリスクと利点は、人によって異なります。その人にとってホルモン補充療法が適切かどうか相談してください。


その他の対症療法

<ホットフラッシュ>

  • 漢方療法
  • 適度な運動
  • 体重コントロール
  • カウンセリング

<骨粗鬆症>

  • 運動(毎日20〜30分間程度歩く程度)
  • 健康的な体重を維持
  • カルシウム、ビタミンDの摂取
  • 日光浴

 必要に応じて、骨密度検査を行います。腰と脊椎の骨の密度をレントゲンで測定します。 骨粗鬆症がある場合、または骨粗鬆症になる可能性がある場合は、骨を強化するため治療薬の服用を必要とする場合もあります。

<卵子凍結、受精の凍結>

 がん治療によって卵子の数が低下し、治療の直後または、数年後に一般の年齢より早く閉経となる場合があります。 その様なことが予想される場合は、将来の妊娠に備えて卵子や受精卵の凍結が可能な場合があります。これは、がんの種類、治療後の体調やがん治療を受けた後からの期間などにより、その卵巣刺激の方法や採卵(卵子を採取する)が可能であるかは異なります。将来の妊娠への希望がある方は、主治医もしくは、生殖医にその必要性や方法を相談してください。

東京慈恵会医科大学 産婦人科学講座
楠原 淳子